ぼくのりりっくのぼうよみは、新しい偶像を作ろうとしているだけで何ら変わってなんかいない
今日は真面目に書きたいと思ったんだ。
お察しの通り、この騒動について。
熱が上昇している時に言っても焼け石に水なので、あえて熱が冷めた今、もう一回"ぼくりり"をアーティストとして冷静に見たいと思うんです。だって、あれだけ詩的な歌詞を書く人が、言葉を大切に使ってきた人が、言葉で伝えるのが下手なわけないじゃないですか。
正直言って私は今の彼が嫌いだ。彼の気持ちなんて、一般人にはてんで共感できないものなんだろうけど、共感できないなりに理解したいとは思う。
感情なんて"化けの皮"なんですよ、本当は。伝えたいことがあるから、感情的になるんです、人は。
このご時世だからこそ、音楽をやるなんて、よっぽどの信念と指向性がなければ続けられない。真面目腐って行きたくもない会社に行っている方がずっと楽だ。
彼は自分のことを『天才』とか言っているけれど、ここまで続けて来れたのは間違えなく『努力』を惜しまなかったからで、それが出来たのは、音楽が好きで好きで仕方が無かったから。
ただ、もう頑張ることに疲れてしまったんだ思う。頑張れば評価される、頑張れば認められる、そこに捕われすぎて頑張る目的が分からなくなっただけなんだと思う。というか、もう音楽活動を通して、頑張ることだけが目的化していたんだと思う。目的を失ってまで走ることほどツラいことはない。
このあたりから、確かにおかしかった。企業パワーでやらされたのか、ネタ切れになって自ら進んでやったのかは知らないけど、明らかにそれまでのファンには聞けないものになったし、大衆的には聞きやすいものになった。
この辺が、彼への批判合戦の幕開けだった。
日本人は、音楽を自らの崇拝対象かのように扱う悪癖を持つ人が多い。奴らは批判された暁には啖呵を切って憤る、なぜか。自分を否定された訳でもないのに。
崇拝対象の一挙手一投足に敏感に反応し、ああだこうだと言う。新興宗教さながらだ。
確かにこれはどうかと思うんだ、私も。
それが多分、彼の言う偶像だったんだろう。崇拝対象としての『ボクリリ』。
それを壊すのは、必ずしも悪いことではない。でも彼はこの壊し方を極端に誤った。
今の姿が本当の"ぼくりり"なわけじゃなくて、結局は、そこにあった『若き異才』の偶像をなぎ倒すためだけに生まれた、新たな歪曲した偶像でしかない。
皮肉にも、彼は偶像を壊すために、新しい偶像を作る、という手段を取ってしまったんだ。
今はもう、自らが生産したモンスターの制御が効かなくなっているマッドサイエンティストを彷彿とさせている。
投げつける言葉の裏側に、息をしている人がいることを考慮しない。
これをぼくりりが言っていたときに、私は『幼少期に虐待を受けて、尚自分の子どもへの暴力を止められない大人』を彼の中に見た。
音楽は利己的に存在するものでもなけでば、利他的に存在するものでもない。
ただ、音楽で日常が少しでも面白くなったり、豊かになったりしたなら最高だ。
だから彼の音楽は最高だったし、いつかまた、彼が自分のために使った言葉で、誰かの日常が面白くなってくれたなら、それ以上のことはないと思う。